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右水営圏観光地

護国の息遣い、右水営鳴梁大捷地

右水観光地は1597年、忠武公が勝利を治めた鳴梁大捷を記念して過去の聖地の姿を大事に保管している。1986年に国民観光地に指定され、初めての事業として1990年、鳴梁海峽が見渡せる位置に鳴梁大捷記念公園を作った。
忠武公遺物展示館には鳴梁海戦で使われたという天字銃筒、地字銃筒などが展示されており、彼の活躍像を入れた映像も上映する。また、公園のあちらこちらには壬辰倭乱当時の義兵と官軍たちの戦闘姿を彫刻した像などが配置されており、生き生きした感動を与えている。

鳴梁大捷公園

鳴梁大捷公園

鳴梁大捷地は、忠武公李瞬臣将軍が13隻の兵船で鳴梁の地形と潮流を利用して、西海を北上する倭船133隻を大破して壬辰倭乱7年を終結させる決定的な契機になった場所である。壬辰倭乱最後の橋頭堡であった鳴梁海峽には鳴梁海峽亀甲船の遊覧船が運行されている。

鳴梁大捷碑

鳴梁大捷碑

鳴梁大捷碑は朝鮮粛宗の時、忠武公が丁酉年(1597年)3月16日、右水営鳴梁海峽で勝利を治めた鳴梁大捷を記録したものであり、忠武寺に奉印された遺影は1966年、以堂イ・ウンホ画伯が描いて霊廟に迎え忠武寺の威厳を備えた。

鳴梁海峡

鳴梁海峡(ウルトルモク)

海が泣くといって鳴梁という名前になったという鳴梁海峽は、海南郡の右水営と珍島郡の鹿津の間をつなぐ最も狭い海峡で、広さが325m、最も深いところの水深が20m、流速が11.5ノットに達し、屈曲が激しい岩礁間を渦巻いて急流が流れる。

このような速い流れが岩礁にぶつかってはね返る海の音が20里向こうまでも聞こえるという。このような地形の特徴が丁酉災乱(慶長の乱)当時、4百隻余りの倭船に手も出せずに惨敗させた大きい要因となった。 泣いている鳴梁海峽の海上で今はアーチ型の珍島大橋が空を分けている。

牛項里恐竜博物館

牛項里恐竜博物館

黄山面牛項里の海岸には、鳥の足跡、木の幹の化石、恐竜の足跡など9千万年前のものと推定される世界唯一の古生物化石群がある。水掻き鳥の足跡化石は世界で初めて知られた米国の始新世地方の新生代地層より4千万年ほど先んじた中生代白亜紀地層であることが明らかになり学会を驚かせている。また、海岸線のあちこちでどんぶり程の大きさの窪んだ恐竜の足跡を発見することができる。

水掻き鳥の化石は堆積岩の絶壁下の幅05.m~1m、長さ15mほどの岩に1千個以上鮮明につけられられており、周囲の翼竜の足跡と一緒に探してみることができる。

庫千巖渡り鳥到来地

庫千巖渡り鳥到来地

庫千巖の葦畑は、庫千巖湖の14Kmの周囲に沿って葦が広大に生息している。海南邑夫湖里から花山面蓮谷里まで3Kmの葦畑は50万坪で、国内最大の葦の密集地である。また、庫千巖の葦畑にはナベコウ、鷲などの稀貴鳥類はもちろん、全世界の98%のトモエガモが越冬しながら幻想的な群舞をしたりもする。